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京都市役所前広場特設ステージで「G.O.ファイヤー」開催!炎を噴くジャイアント・オタマトーンに歓喜の声

2014-10-18
レポート
10月18日(土)、京都市役所前広場特設ステージで、現代美術家のヤノベケンジさんとアートユニット「明和電機」社長・土佐信道、そして映画監督・演出家の石橋義正さんのコラボパフォーマンス「G.O.ファイヤー」が開催されました。
前代未聞のコラボレーションということもあり、そのライブステージをひと目見ようと大勢のお客さんが京都市役所前広場につめかけました。
ステージでは、ヤノベさんと土佐社長の共同制作作品である8mものジャイアント・オタマトーンを背に、土佐社長がこのプロジェクトに向けて2カ月間も京都に滞在して開発したさまざまな新型ナンセンスマシーンを披露。明和電機のコスチュームに身を包んだアイドルグループ「つぼみ」がそれらのマシーンを使い、土佐社長とともに約1時間のライブパフォーマンスを繰り広げました。ステージの総合演出は石橋さんが担当。色とりどりの照明や舞台装置などを駆使し、音と光を使った幻想的かつ奇想天外なライブステージでお客さんを楽しませました。さらにジャイアント・オタマトーンが炎を噴くたびお客さんのテンションもアップ! 燃え盛る炎がステージを赤く照らしていました。
 
ライブ後半ではヤノベさんもステージ上にお目見え。土佐社長と炎を噴くジャイアント・オタマトーンの開発秘話を語り合いました。
ヤノベさんは「京都造形芸術大学にある『ウルトラファクトリー』という、我が城として使っていた工房を、明和電機さんに乗っ取られてしまって。その話をドキュメント映像として観られた方もいると思いますが、辛いこともあったんですけど最近は仲直りして共同制作を完成させました」と語りました。しかし土佐社長は「実はまだ和解しきれていないんです。さらにヤノベさんを貶めることを考えてきました」と何か企んでいる土佐社長。「そんなことがあるんですか!?」と驚くヤノベさんに、「ヤノベさんの大事なものといえば、生徒さんですよね。僕が、生徒さんを洗脳しました!」とまさかの宣言。土佐社長に呼ばれてステージ上に現れたヤノベさんの生徒さんたちは、全員、明和電機の青いコスチュームを身にまとっています。これにはヤノベさんも「さっきまで、ちゃんと『ウルトラ』の服を着てたやん!」と驚き(!?)を隠せません。土佐社長は「僕らは、バッチリとある歌を練習してきました。知らないのはヤノベさんだけです! 僕が今から『ウルトラファクトリー』を乗っ取った歌を歌いますので、ヤノベさんは聴いていてください」と、生徒さんと一緒にパフォーマンス開始! しかし、歌の途中で想像を覆す展開が待っていたのでした。
パフォーマンス後の会見には、ヤノベさん、土佐社長、石橋さん、そして京都国際映画祭のアートプランナーを担当している、おかけんたが出席。
石橋さんは、「予想以上にたくさんの方に見に来ていただけてよかったです。やってる方もすごくテンションが上がりました」と笑顔で語りました。
土佐社長は、「明和電機としては過去最大級の製品をヤノベさんの力を借りて作ることができました。パフォーマンスはつぼみの皆さんで、石橋監督に演出をしていただき、今までにない、ちょっと艶のある新しい明和電機だなという感想です。ありがとうございました」と2人に感謝の気持ちを。
ヤノベさんは、「京都市役所前で行われているイベントで火炎放射をやるなんて、これは革命的なことだと思います。京都の伝統を守る印象のある都市ですが、革命を起こすような芸術運動がこの京都から始まるような気がして、すごくドキドキしています。素晴らしいイベントだと思います!」と興奮冷めやらぬ様子。
 
おかけんたは、「もともと5月8日に4人で行ったトークイベントで、このプロジェクトが決まったんですが、全員があまりにも勝手なことを言いだしまして(笑)。それで私が『コラボ作品を作ってください』とお願いしたら、このような形になりました。12体、明和電機さんのマシンを使うが人が必要だと聞き、『つぼみはどうや』と紹介したのも私でございます。昨日まではそういったことを反省してたんですが、今では誇りに思っています。京都という町に、まずはお礼を言いたいと思います。京都、ありがとおぉ~~~~」とええ声で感謝の気持ちを爆発させていました。
また、京都国際映画祭のシンボル「大魔神像」が見守っていたことについても、おかけんたは「新旧の守り神ということで、大魔神像が旧の守り神、ジャイアント・オタマトーンが新の守り神だと思っています。また、京都の象徴的なところといえばやはり市役所しかないということで、かなり時間をかけて火を噴いていいのかの許可をいただきました。これが成功したのも、やはり2体の守り神が守ってくれたから実現したんじゃないかなと言う気がします」としみじみと語っていました。